えちょ記

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Twitterと情報エントロピー

結論から。
Twitterの本質は情報エントロピーが非常に高い情報を大量に溜め込み、利用者毎に個別のフィルタを提供する事で価値を創造したメディアである。その本質が、結果的にTwitterを外部から、更には内部の他人から見たときでさえも、系として極めて情報が閉じたメディアに見せる。」
以下、論拠を示す。無茶に端折ってたり、推論も多々あるが、一つの意見として見て欲しい。

情報の質とは

まず、エントロピーについて簡単に。「エントロピー」とは熱力学により定義される単位で、「単位空間のエネルギーの乱雑さ」を示す。エントロピーを低くするには「使える」エネルギーを投入する必要があり、逆に「使える」エネルギーを取り出すと、エントロピーは高くなる。超訳すると一種の等価交換の法則。
エントロピーは、そのまま情報の単位となることが証明されている。単位空間に詰め込まれた情報量が「エントロピー」そのもの。情報を操作する行為は、情報源から使える情報を取り出す行為であり、これは空間から「使える」エネルギーを取り出す行為と等価となる。情報とエントロピーの関係は調べていくとまさに青天の霹靂のような衝撃の事実満載で興味が尽きることがないのだが、思いっきり脱線するのでこの辺にしておく。

エントロピー極大の地、ブラックホール

エントロピーには空間における上限値が存在する。その地を我々はブラックホールと定義している。ブラックホールの大きさは、光が脱出できる(=情報が取り出せる)限界半径で定義されるが、ブラックホールのエントロピー量はその限界半径の球面積と比例したりする。これはこれで脱線するので以下略。
ブラックホールというのは極端な例だが、ここで言いたいのは「エントロピーが高いほど、使えるエネルギーを取り出すのは大変になる」ということ。情報に置き換えると「情報源のエントロピーが高いほど、使える情報を取り出すコストが高くなる」となる。「使える情報」というのは、言い換えれば「整理された質の高い情報、意味のある情報」という事。

Twitterはブラックホールみたいだ」

本記事の結論は、こういう趣旨の発言を見受けた事にヒントを得た。直感的にも同意できた自分が、なぜ同意できたのか考えたとき、ブラックホールとエントロピーの関係を思い出した。ブラックホールはエントロピーの墓場で、エントロピーとは情報である。そしてブラックホールは系として「閉じている」。エントロピーが最大となり、もはや内部がどうなっているか知る由がない空間になってしまっているのだ。Twitterがそんな風に見えるということは、ブラックホールは極端としても、似たような現象が発生していることになる。

「場が閉じている」とは「情報エントロピーが高い」という事

「何をやってるのか判らない」≒「情報を得るコストが高い」と言い換えることが出来る。例えば永田町の料亭で行われる政治決断では、どんなやり取りがあったのか判らない。過程を知るためには、盗聴するなり、女将から情報を聞き出したり、自分が政治家や秘書になったりするなど、相当無茶なコストを払う必要がある。
例えばSNS内の議論やコミュニティも閉じてると感じるが、これも同じ。会員制サイトであるとか、足跡を残すという制約を付ける事でSNS内に強い重力場を生み、外部への情報流出を抑えている。

Twitterは高エントロピー情報源の巨星

Twitterが閉じているというのなら、その重力場の源を探る必要がある。が、エントロピーを考慮して考えたとき、Twitterの生む閉鎖性はより本質的な所で生み出されていることに気がついた。他愛のない日常のつぶやき。それは高エントロピーの情報源に他ならない。その情報源を圧倒的な物量で吸い込み、Twitterという巨星の表面で輝かせているのだ。
大量の情報入力は高いエントロピーの場を作り、星の外に意味のある情報を抜き出すことを困難にしている。この重力場が、全体として公開されているのにもかかわらず、各個人から見て擬似的なSNSの雰囲気を生み出すことに成功している。参加者一人ひとりが自分だけのコミュニティを形成し、自分にとって心地良い空間を構成できる。高い重力場エントロピー)が自分が発する情報の流出リスクを抑え、意図しない他人からの干渉を避けることに成功している。

世界有数の人数が参加した、最も小さな「なう」SNS

エントロピーの情報発信は低コストの楽な行為だ。その代わり殆ど意味を持たないから、「なう」的情報が多数を占めることになる。「なう」に絞ることで比較的多くの人とのコミュニケーションを低コストで得られるのがTwitterだ。それも、一人ひとりが自分の趣味に合わせた自分のコミュニティであるフォローリスト、つまり自分のSNSを構成できる。
フォローリストが自分に対してTwitterエントロピーを理解可能にまで下げる一方、系全体のエントロピーは非常に高い。たとえ特定個人の発言をフィルタしたとしても、その人が見ている風景(フォローリスト)に基づくログを再現しない限り、他人にとってそのエントロピーは高いままだ。この強大な重力場が、同じ星の上にいるのにも関わらず、一人ひとりが違う景色を見ることを可能にしている。
どんなSNSも会員数が増えるに従いSNSである利点を失っていくが、Twitterにはそれが無い。高エントロピー場が他人の情報を追うコストを極端に押し上げる一方、フォローリストが自分の周辺のエントロピーだけを押し下げる。だから公開されているにも関わらず、Twitter情報は閉鎖空間を生み出すのだ。
だから、Twitterは考えうる最も理想的なSNS形態の一つなんだと考えている。開放された閉鎖空間に、今も情報が吸い込まれていく。