えちょ記

語らないブログ

意識が生まれる時空

哲学っぽいけど言いたいことはあくまで理系の話。
「心」が「どの時間に」存在しているか意識したことはありますか?「コギト・エルゴ・スム」、我思う故に我あり。自我は「今の時間」存在しているはずです。この「心の時間」と、私たちを包む「リアルな時間」、どのくらいずれているでしょうか?
答えだけ言えば「ズレはない」です。相当かなり正確に一致している。そうじゃないと「歌」は歌えないはずです。正確に世界のリズムに一致しているからこそシンフォニーもダンスも生まれるのです。
しかし、これはよく考えればおかしな話。思考装置「脳」は実際に行動する「前」に行動内容を決定しているはず。そうじゃないと実時間に先回りして行動を起こすことは出来ません。でも、歌う声を出すとき、心の「声」は実際の時間より先にだしているでしょうか?声を出した瞬間と「心の声の瞬間」は一致しているはずです。でも、歌はズレない(‥‥一部のかわいそうな人を除く)
昔「脳は未来予測装置だ」という趣旨のことを書いたことがありますが、しかし「意識」は「心に思った瞬間に」生まれているように思えます。「自我」というものは時間と切り離せない概念ですが、だからこそ「自我」が生まれる瞬間には、脳はすでに別のことを考えているといえます。
意識とは脳の活動そのものではなく、脳やその他の思考装置たちが未来に放った「ミーム」達が今の時間に結像したゴーストのようなもの。そう考えると「意識」は思考装置にまとわりついては居ますが、同次元に居る存在ではありません。思考装置と「意識」は一対一の関係ではない。
今より先回りした未来を思考する「何か」さえ存在すれば、恐らくその集合体は何らかの自我を生み出す可能性がある、と考えています。
「この入力があったらこう出力する」というのでは遅いのですよね。嘘でもいいから未来を予測できて初めて、今の時間を生きる意識が生まれるんだろうと、思っています。