えちょ記

語らないブログ

脳は考えない

これは定理です。おそらくここから始めないと、「心あるもの」を脳以外から生み出すことは無理でしょう。
思考というものを論理づけて定義し、論理によるプログラムの先に、「心」は無い。論理の積み重ねは「足し算」ですが、「心」を生み出すのは「掛け算」の考え方が必要です。
「思考」とは何をすることなのか。
ニューロンのネットワークを電気信号が駆け巡り、一部が遅延してループする差動回路により、ネットワークに時を生み、「今」を定義し、そして本当の未来が来るよりも早く、そのループをまわすことで未来を予測し、生存に有意な未来を選択するための行動を起こす。程度の差があれ、人間も虫もやってることは同じです。
ただ人間の脳はより多くの事柄を記憶し、より多くの未来を推測し、そしてその仮想世界の広がりが「心」を生みだしました。現実の世界以上に広がる仮想世界で生き残るすべを模索する「生存本能」が心です。哲学も宗教も、愛や自己犠牲さえも、仮想世界を含めた生存への意欲がもたらす現象といえます。
では「心」はどこにある?脳細胞レベルではないことは明白です。じゃあ10個集めたら?1万では?1億では?‥‥脳細胞は約140億といわれていますが、これだけあってもたんに培養して増やしていては何も生まれない。かと思えば、脳に障害を負って半数以上の細胞が死滅した人でも「心」は完全に保っている人もいます。
つまり、脳自体は何も考えない。感じない。心は、脳が作るニューロンのネットワークが生み出す海に浮かびあがる「まぼろし」と言っても過言じゃないと、私は定義づけています。人の脳が生み出す「仮想世界」が広大だからこそ、私たち「自我」は存在できる。
だから「魂」ってあるんですよ。いえ、幽霊とかって話じゃないです。ニューロンネットワーク自体はとにかく情報を右から左へ判定するだけで、そのどこにも「思考」なんて高度なものは無い筈です。脳は考えず、ただ仮想世界のやじろべえを揺り動かすだけ。そのゆれが生む波に、魂が浮かび上がるのです。