コミュニティが離れる時
とりあえず、どこが、誰が、って話ではないです。昔も今も変わらない定理を、自戒も込めて。
「〜の為にやってあげている」という言葉を発した時、その人の周りのコミュニティは間違いなく崩壊します。例えその人に、どれだけの技量があろうとも。
「思い上がりの定理」。自分があるコミュニティの中心的役割、あるいは屋台骨を支えているような立場の時、人は往々にして「やってあげている」と思ってしまう時があります。最初はガンガンやっていた人ほど、ちょっと疲れた時にこの言葉を発してしまうようです。
残念ながら、人は自分が思うほどに、「人を支える存在」ではありえません。実際にはその人がいなくても何とかなることが殆どです。そして、「頑張っている人」は、思ったより見えない「何か」を、頑張っている対象から受け取っています。
「ゾロ」のように「大衆の下僕となれ」とまでは思いませんが(^^;。ある「コミュニティ」にどれだけ貢献していようと、その人とコミュニティは、「対等」の立場であることを、決して忘れてはいけません。
でも、忘れちゃうんですよね、この大事なことを。何度か、この決して発してはいけない一言を漏らしてしまったことで、コミュニティから信用を失ってしまう人を、何回も見ています。私も、自分の気が付かないところで、失っている物が多いでしょう。
何かをする時、している時。出来ることなら、「やってあげている」じゃなくて、「これがやりたいんだ!」で行動出来るように。そして同じように何かをしている仲間に、感謝の気持ちを忘れないように。
なかなか出来る事じゃないんですが、出来るだけ忘れないよう、久々の日誌の1ページに刻みます。