えちょ記

語らないブログ

ハンドル名

私は、2ちゃん的匿名コミュニティというのは、苦手です。あ、嫌いじゃありませんよ?たまに読むことはありますし、それで知識を得たり、楽しんだりすることはよくあります。

でも、自分が書き込もうとは思わない。「ハンドル名」が無いという世界は、落ち着かないんですよ(^^;。

元々インターネット以前、パソコン通信と言われた時代のNiftyServeのフォーラムから、私のBBS歴はスタートします。この中では、「ハンドル名」が個人を識別する全てでした。本名を公開することも出来ましたが、私はあくまで「ハンドル名」を通しました。

勿論、本名で参加する人もいました。そういう人と本気でディベートぶつけたこともあります。すれ違った挙げ句、「本名出さない奴の意見なんてまともに聞けない」と捨て台詞を吐かれたこともあったりするんですが(^^;。

でも、私はその人の考えには同意できませんでした。ハンドル名には年齢・性別などの個人情報は一切含まれません。ただあるのは、その「ハンドル名」を使ってネットで積み上げた人格像、信頼‥‥、それだけです。

でも、私にはそれが、ネットで一番大事なものに思えたんです。自分が育てた、ハンドル名という分身。個人の立場に左右されず、自分の思考能力だけが遊離した、ある意味もっとも純粋な「自分」という存在。

だから、「ハンドル名」は安易に捨てるべきだとは思わなかったし、失敗したらハンドル変えればいい、という考えは持っていません。それは、自分を捨てる行為に繋がる、その位大事に考えています。

このサイトで「どっとステーション駅長」というハンドル名を利用しているのは、 実は以前のハンドルが実生活でも使われ出して、必ずしも純粋な「自分」だけにリンクしなくなったからという裏事情があります(^^;

「で、だったらなんで匿名のボトルなんてやってるの?」って突っ込まれそうなんですが(^^;。私は、ボトルを「匿名」のコミュニティだとは思っていません。「ゴースト」というアイデンティティを多数の人間で共有した、ちょっと特殊な非匿名コミュニティだと考えています。

だから、私は「ゴースト」を大事にしたいし、「ゴースト」を貶めるような行動は絶対にしたくない。自分の分身ではありますが、それ自体が独立した「知識体」としての地位を持つと考えています。

という考え方で言えば、「2ちゃんねる」は、「2ちゃんねらー」という一つの知識体を参加者全員で共有しているコミュニティということになるんですが‥‥。流石にあれだけの混沌とした一つの意識体に、私はシンクロできない(^^;。まぁ読んでいて楽しくはあるのですが、あの世界に自らを投入すると多分自分を見失うと思うので、きっとこれからも傍観し続けると思います。