えちょ記

語らないブログ

エントロピーと救援物資

しばらく前にエントロピーお宅(どんなだよ)になって世の中を妙にエントロピーと関連付けて理解してしまう妙な癖がついてしまっています。こーいう、「なんか全ての出来事が統一の概念で語れるような勘違い」は全く良くないことで自制すべきなのですが、少しくらいは言っても良いかなとか。

先日より、ハイチにて大変な震災が発生しています。時期が時期で、私も阪神淡路大震災の一応被災者ですので、まるで人事じゃなく感じていました。さて、被災地では最低限必要な飲み物さえ手にいれることが出来ず、ほぼ無政府状態の混乱がつづいている模様です。

こういったとき、支援を出来る余裕のある人、とにかく我々素人は、絶対に「モノ」を贈ってはいけません。それは善意ではありません。結果的に行為の押し売りにしかならず、しかも相手に損害すら与えてしまう行為なのです。このような災害を「第二の災害」と呼ぶそうです。

富にも「エントロピー」があります。より多くのものに変換できうる「富」こそが、より優秀な支援となります。綺麗な服・温かい手料理、それは確かに被災者に届けたいものですが、残念ながらエントロピーが高く、まともに使える可能性どころか現地を混乱させることにしかならなかったりするのです。

現代社会において最小のエントロピーを持つ「富」とは、通貨そのものです。私たちは幸いにも、現代社会にて非常に優秀な価値を持つ「円」という通貨を持つ国民です。自分たちの「富」を分け与える事で不幸にあった人達を救いたいと思うのなら、まず「お金」を与えてあげてください。

富を持つ人ほど「お金」を汚いと感じ、モノで救いたいと考えがちですが、そんなことはない。災害にあった人たちにはあらゆるものが不足してて、だからこそ「あらゆるものに変えられる」お金が最も有用な援助手段となるのです。被災者には一刻の時間の猶予も無い、だからこそ救援には最大限の効率が求められる。

助ける物理手段に乏しい私たちがやるべき事は、「その場で祈ること」「お金を送ること」。それ以外の事に手を出したいならその道のプロになるしかありません。今出来る、有用な事を心掛けて援助の心を活かしたい、活かすべき、なのです。