えちょ記

語らないブログ

Twitterとパブリックコメントとポテンシャル

最後に。Twitterで議論とかしちゃだめ?に関する抜け道など。「さっきはあれだけ強く言い切ってるくせになんだ!」と突っ込まれそうなのですが(^^;、どんな強い意見でも例外や抜け道はあります。一連の記事は、特にエントロピーを持ち出してからは自分自身の研究欲が記事を作る主目的です。一連の記事により、誰かが強い懸念を持つ事態は本意ではありませんので、自分が気がついている抜け道については提示しておこうと思います。

議論の持ち出し、結論の持ち出し

「議論」の持ち出しに関しては前述の通り。自分だけのつぶやきなら自分の解釈を追加した上で体裁を整えるのは全然問題ないと思いますが、他人が関わる議論の抽出はTwitterの性格上、あまりにエントロピーが高すぎて第三者が見たときに解釈が発散し、トラブルの原因になると見てます。ただ、「結論」はどうでしょう?前述の記事では危険、と断定しましたが、特定の条件を満たせば「そうでもないかな?」と考え直しました。但し、いずれにせよそれなりのハードルを越える必要はあると思います。

人は情報にポテンシャルを求める

ポテンシャルとは簡単に言えば「落差」です。周りの人がもつ情報エントロピーが高く、自分自身が持っているエントロピーが低いとき、低いエントロピーを持つ情報からエネルギーを引き出すことが出来ます。情報や人を相手にポテンシャルを言い換えると「利益」「責任」という感じでしょうか。自分の情報にポテンシャルがあることを他人に認めさせるには、情報の発信者は自身の情報のエントロピーの低さを納得させなければなりません。

事業仕分けとポテンシャル

こないだまで大騒ぎだった事業仕分け。この作業は典型的な「議論」でした。参加者全員の議論により、予算の削減が可能という、それなりにエントロピーの低い結論を導き出したのです。議論で何が行われたのか?それは、各参加者が自分の持つ「事実と見解」を持ち出し、目の前にある情報源の本当の価値を定義し直したといえます。参加者全員が自分のポテンシャルを使って、情報源のエントロピーを下げたんですね。
っと、「エントロピー」について軽くおさらい。情報エントロピーとは「情報の確かさ」を表すものです。不確定な事実であるほど値は高く、より確定した事実であるほど低くなります。他人と自分との間にある情報に関するエントロピーの格差があるとき、ポテンシャルが発生します。明日、株の暴落が起こることを自分だけが知っている、そういう状況を考えてみてください。
議論とは、議論が導き出す結論のエントロピーが低いことを、議論参加者全員の責任と議事進行の提示により証明する行為と言えます。さて、Twitterから結論を持ち出す場合、「議論の提示」が使えません。どうやって低エントロピーを証明したら良いんでしょう?

ジョブスの野郎とポテンシャル

何かサブタイトル見るだけでポテンシャル高そうですね!‥‥実際、高いのです。
「鶴の一声」という言葉があります。権威を持つ人が放つ一言はそれだけで価値が発生します。議論では参加者の総意と努力により導いた低エントロピーですが、そもそものポテンシャルが高い人が何かを決定した場合、それだけで情報のエントロピーが一気に下がります。これは、ポテンシャルが集中している人の発言は、それ自体が事実を認定し、創造する事に繋がる可能性が高くなるからです。
ポテンシャルが集中している人とは、多くの責任を引き受けている人です。引き受けた責任は信任となり、その人が決定した事柄は、その支持者たちの行動を伴って実現されることになります。

若手技術者とポテンシャル

ジョブスの野郎がポテンシャルを発揮したその頃、ある技術者が2chで流れていた発言を元に、とある技術の実現方法と有用性を思いつきました。上司に掛け合って何とか開発許可を取りたいんですが、まさか2chが元ネタだなんて言えません。
若手技術者は自分が導き出した結論を補強するために、あちらこちらの資料や論文の情報をつなぎ合わせ、自分の語り口を検討し、自身の考えが正しいことを報告書にまとめました。若手技術者が流した汗=エネルギーをつぎ込み、様々な資料から引き出せるポテンシャルを利用し、自分が持つ結論のエントロピーを下げたのです。
つまり、情報の元ネタがどうだろうと、自分の努力と責任をつぎ込む覚悟があるなら、情報のエントロピーを下げることが可能です。

パブリックコメントとポテンシャル

最後に「パブリックコメント」を引き合いに。一般からの意見を募って最終的な結論を出すためのプロセスとするのがパブリックコメントですが、この仕組みはTwitterに似ています。発言者に対して発言の責任を問わず、最終的な決定についての結論を導く責任は自分たちが負っているからです。
責任を伴わないアイデアはそのままでは箸にも棒にもかからない訳ですが、その代わり気軽に発言できます。そして実行力が伴う人たちの目にとまればそのアイデアはとたんに輝き出します。
自分のポテンシャルを武器として戦う人たちにとって、Twitterは光り輝く宝石箱になるでしょう。Twitter自身からポテンシャルを引き出すことはTwitter以外には難しいと思いますが、Twitterに漂う不確かな情報を踏み台に技術や発想を磨くことは、十分可能だと思います。

気軽に。

持ち出すときは自分だけの責任になる、そこはハードルだけど、逆に言えばそこさえ注意していれば極めて気軽に使える道具です。ビジネスモデルを探りたくて少し深く探りましたけど、これは私の趣味です(笑)。今面白いと思っている人は、今のまま、楽しく気軽に使えばいいと思うんです。おいらも無責任につぶやきますので、中の人は生暖かく見守ってくださいませ!